今年の2月に韓国の「日刊スポーツ(でいいのかな?XD)」にファヨンのインタヴュー記事が掲載されました。
この記事、正式な日本語翻訳のものは無いんでしょうか・・・?
とりあえず、翻訳サイトを利用して翻訳してみました。
なるべく誤訳が少なくなるように、いくつかの翻訳サイトを利用して、自分なりの意訳も含めて訳してみましたが、明らかにおかしいと思われる訳がある場合は教えていただけると助かります:D
では・・・
ファヨンの告白(仮XD)
[ファヨン・インタヴュー①] T-ARAのお姉さんたちと一杯飲みたい。- 久しぶりです。 所属会社を再び探して活動を再開するのに1年半かかりました。
休みの間は演技の授業を受け、その過程で全羅道の方言を直そうと努力しました。
また、スキン・ダイビングなど様々な資格を取るのに忙しくも充実した日々を送りました。
- T-ARAから抜ける当時の話を明らかにしてもらえますか? メンバー達と仲が良くなかったのは事実です。
しかし表面に現れてこないだけで、他のグループも私達と似ています。
私達だけが特に仲が悪く、深刻だったのではないと思います。
社会生活をしていれば一緒に仕事をする人とすれ違う部分がありますよね?
そう考えていただければ良いと思います。
その時は私も間違った部分があって、お姉さんたちも間違った部分がありました。
誰がより多く間違っていたなどと話すことは難しいです。お互いに誤解してぶつかったのです。
- 当時はいじめ説·暴行説·不良説など各種デマが多かったですが、最も悔しかったのは何ですか?多くの時間が過ぎた今はどのような噂があったのか正確に思い出せません。
時間の経過と共に、私の心もたくさん解れて成長したようです。
- グループからの強制解除がありましたが、当時はどのような状況だったのですか? グループから解雇されたことをインターネットにUPされた記事を見て知りました。
本当に不思議でした。
コンピュータの電源をオンにすると、自分の名前がリアルタイム検索語に上がっていました。
クリックしてみたところ、私がティアラから脱退するという記事がUPされていました。
お姉さんたちといざこざがあったりと、色々と良くない時期だったので家で休んでいましたが、そのような記事を目にして状況把握ができませんでした。
全く予想していなかったことだったのです。
所属事務所に尋ねたところ、「T-ARAから抜けるのが正しい」とおっしゃられました。
その時はたくさん空しい思いをしましたが、後に(前所属事務所)のキム·グァンス社長も仕方がない決断だったという気がしました。
キム·グァンス社長は私にはお父さんのような方でした。
活動する場をたくさん用意してくれました。是非また一度お会いしたいです。
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