KstyleでもT-ARA関連の記事を久しぶりにチェックしてみた。
いやぁ、凄いことになってますね=O
表示された10件の記事は全てジヨンXD(画像は5件だけですが)
その中に気になる記事が・・・
T-ARA ジヨン、涙の告白「人の視線が怖かった…自分を失った気がする」T-ARAのメンバーに関しては、最近の動画や画像を観ていても、おや?と感じる瞬間がいくつかありました。
特にジヨンとウンジョン。
ジヨンは口元が笑っていても、目が変わらないというか、「笑わなくちゃ」と思って笑っているというか・・・。
ウンジョンも同じ印象を受けていました。
毎度、俺の考えすぎかとも思ってたんだけど、あながち間違ってもいなかったのか・・・?
だから19日、俺はあんな風にソロ・デビュー前のジヨンを想い、記事にしたのかもしれません。
そしてソロ・ステージの表情も、パフォーマンスとは思えない悲痛な表情が印象的でした。
10代の多感な時期からずっと「T-ARAのジヨン」として生きてきたジヨン。
あるいはT-ARAのジヨンを演じてきたと言うべきなのか?
ジヨンは本当にT-ARAを愛しているんだと思います。
ソロ・デビューについて、「T-ARAが生きていることを証明したい」みたいなことを言ってたという記事(だったかな?)を見たことがあるし、↑の記事を読んでも
T-ARAのイメージを考えたら今は私も『本当にそうか?』と考えたりもする。
と、T-ARAとしてのイメージを常に考えています。
とても立派と思う一方で、そんな重荷を末っ子が果たして背負う必要があるのか・・・?
とも考えてました。
それで自分が潰されてしまっては、もともこうも無い。
実際、不安定な状態になっています。
これは今に始まったことではないとは思うんですが・・・。
ジヨンは自分が自分で思う最高のヴィジョンをステージで表現してきたんだと思います。
彼女が自分で築いてきたイメージ。
しかし、そのイメージは利用され、操作され、そして定着してしまった。
そんな中、ファンに良い姿を魅せようと頑張ってきたジヨン。
しかし、ずっとT-ARAのジヨンとして演じてきたステージ・パフォーマンスは理解してもらえない。どうしていいかわからない。
そして半ば諦めな気持ちでふと立ち止まった時、本当の自分すら取り戻せない。
この数年で、本当の自分はどこかに置き忘れてきてしまったのか・・・。
「ありのまま」でいようとしても、本当の自分がわからなければ「ありのまま」ではいられない。
ジヨンは「友達が少ない」と言ってた記憶があります。
相談するのもT-ARAのメンバーが多かったのでしょうか?
それとも、中々相談できなかったのでしょうか?
もしかしたら、今のジヨンには芸能界には全く関係の無い友達が必要なのかもしれません。
「T-ARAのジヨン」としてではなく、「パク・チヨン」として付き合ってもらえる友達。
作るのは中々難しいのかもしれませんが・・・。
そして本当の笑顔が取り戻せた時、T-ARAとしてのジヨンももっと素敵になって行くんじゃないんでしょうか・・・?
・・・ファヨンやアルムも、似たような道を辿り、耐え切れなくなってしまったのでしょうかね・・・?
これはまた別の話なんでしょうけど・・・。
まぁ、これらはあくまで俺の想像でしかありませんし、得意の考えすぎかもしれません。
ただ、あの番組でジヨンは「堪えきれずに」泣いていました。
Bon Jovi : Stick To Your Guns
(Studio Demo Ver.)
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