最近、また尾崎豊の曲に励まされている自分がいる。
俺は基本的に十代の頃から何も変わっていないのかもしれない(笑)
・・・いや、尾崎の曲はその時々によって姿や意味を変え、俺の中に入ってくるんよね。
DAKARA尾崎の曲は定期的に聴きたくなる。
何か問題にぶち当たっている時、何かに迷っている時、そんな苦しい時、傍にいて励ましてくれる。
そしてカッコ良い:)
本来音楽って、そういうものだと「俺」は思ってる。
玉置浩二も言ってたけど音楽ってのは、いつも優しい。
もちろん、そうじゃない音楽があったっていいと思うし、俺自身も体の中には様々な音楽が宿っています。
ただ、本質はそうなんじゃないかと。
1位とか、売り上げとか、「俺」にとってはそんなものどうでもいいわけで。
よく、「最近の音楽は誰もが知ってる曲が無い」とか、「ずっと歌い継がれるような曲が無い」とか言ってるのを聞くけど、そんなの大きなお世話なんじゃないかって思う。
例えば、思春期の頃に出会った曲って、きっと忘れないんじゃないかと。
誰かがきっと語って、歌っていくもんだと思うんだけどな。
今思春期真っ盛りの若い連中は、きっと中年になっても「今」の曲達を忘れないと思う。
そして大抵の大人は、心に響き続ける曲ってものを持ってると思うんよね。
そういう曲に出会えたのなら、それはそれで凄くラッキーで幸せなことなんだと思うし。
その曲が、「誰もが知っている」必要も無ければ、「歌い継がれる」必要もない。
・・・というか、「誰にでも知って欲しい」し、「歌い継いで行って欲しい」と思うよね。
それは最近の曲かもしれないし、過去の曲かもしれない。
アイドルの曲かもしれないし、ロック・バンドの曲かもしれない。
それは人それぞれで、そして、その時代その時代で、必ず心に響く音楽は生まれてる。
個人レベルで。
それが「多数」である必要があるのか?
少なくとも、「聴く側」にとってはどうでもいいことだと俺は思います。
結局、思春期や若い頃に出会ったものって何もかもがキラキラしてるから、それ以上のものに中々出会えないのかもしれないね。
だから「最近の曲は・・・」などと言ってしまうのかもしれない。
全然貼り足らないけど、この曲をソヨン、T-ARA、そして俺に捧ぐ{XD